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朝から新幹線で移動中。車中で読んでて気になった一節を。
万物が変化によって生ずることを夜昼となく眺め、宇宙の自然は現在あるものを変化させ、同じものを新しく作り出すことをなによりも好むのだ、という考えに慣れるがよい。なぜならば、或る意味において、現在存在するものはすべて将来それから生ずるであろうものの種子なのである。ところが君は種子とはただ地の中や胎の中に蒔かれるものだけをいうのだと思っている。実にひどい俗見だ。
(マルクス・アウレーリウス、"自省録 (岩波文庫)")
何だって、誰だって、何も影響を与えないものはない、いい意味でも、悪い意味でも。だからこそ、各個人の振る舞いが大切なのだと思う。
このblogは、どうなのだろうか? 他人に見られることによって、何らかの影響を与えうるのだろうか?
彼らの指導理性を注意深くながめ、賢者の避けるものはなにか、追い求めるものはなんであるかを見よ。
(マルクス・アウレーリウス、"自省録 (岩波文庫)")
「指導理性」とは何だ? 頼りにしていいものなのか? ・・・いや、頼りにしたいのである。