神岡鉄道:鉄道、残った 観光に…新たな活路−−飛騨市が方針 /岐阜

先週最後の乗車をしてきた神岡鉄道だが、観光路線として復活の話があるとのこと。たしかに、紅葉がきれいだったので、秋の観光シーズンはなかなか風情があってよい気がする。問題は、採算だけでしょう。近くにもっと観光地があれば、観光路線というのも、十分成り立つだろうが・・・。
私のような、鉄道が好きな人間からすれば、廃止されるよりも、何らかの形で残ってほしいという気持ちである。しかし、現実のところ、採算の面から考えると、そう気安く言えない。直接の利害関係者である、鉄道運営側と、そのサービスを享受する利用者が、その路線をどうしていきたいか、そこにかかっていると思う。
要は、鉄道をどう考えているか、ということだと思う。ただの移動手段なのであれば、安全で、快適で、時間通りで・・・、といったサービスに違いがないのであれば、鉄道であれ、バスであれ、何でもいいだろう。どうしても「鉄道」というからには、「鉄道」であることに、なんらかの意味やステータスでもない限り、高いコストを支払ってまで、鉄道を維持する必要がないのではないか、と思うようになった。最近話題の銚子電鉄も、鉄道会社の方々や地元の方々が、その路線に対して愛着があり、「どうしても維持したい」と考えているからこそ、煎餅売ったりして、なんとか経営を続けようとしているわけだし。
ローカル線って、赤字→列車本数を減らす→不便になる→鉄道を利用しなくなる→赤字がますます続く・・・ってループにはまって、結局廃線になる、という流れが多い。どうにかして、このループを断ち切らなければ、採算をとりながらローカル線を運営していくのは難しい。