昨日も書いたが、"中国はいかにチベットを侵略したか"を読み終えた。なぜ、チベット中共に侵略されてしまったのか、いろいろと考えた。本書を読んでいても、あっという間に、支配されていくような印象だ。本書53ページにある、

ネールは御し易く、ラサでは、年老いた迷信家共がぎゃあぎゃあわめいているに過ぎない。君主はまだねんねだし、チベットの軍隊といえば近代化し損ね、前世紀の遺物の銃を担いだ一万人足らずの玩具の兵隊だ。毛のチベット支配を止める者がどこにいるというのか。

って記述からは、いろいろとタイミングが運悪く重なってしまったこともあると思う。個人的に気になったところを書いてみた。

情報伝達機能の未発達

鎖国状態ということで、自国内での惨劇を海外に発信できなかった。また、国内の情報網も未整備で、国内の連携を妨げた。

政府や閣僚の危機感のなさ

政府や閣僚は、なぜ中共の侵略に意義を唱えなかったのか。1950年の中共軍の東チベットへの襲撃(? 何と表現していいのかわからない)に対する高級官僚たちの認識として、本書66ページに以下の記述がある。

さらに中共軍が中央チベットに侵入してこない限り、東チベットの同胞がどうなろうとかまったことではなかったのだ。しかしそれ以上に政府閣僚の臆病さが問題であった。外国に助けを求めいるのが中共軍に知れたら、毛沢東はそれを口実に一気にチベット政府を押し潰しにかかるだろう。理由はともあれ、ラサの貴族階級政府の利己主義が己の運命を決めてしまったといえる。

このとき、海外に助けを求めたして、支援が行われたのかどうか、私は当時の事情をよく知らないので、なんとも分からない。しかし、政府閣僚の臆病さや保身のために、一国の運命が変わったのか、と考えると、自分の国はどうなのだろうか、あるいは自分が同じ立場であればどうしたのだろうか、と考えてしまう(幸い(?)にして、私は政府関係者ではないので、こういった一国を命運を左右することはないが・・・)。このような事態を避けるためには、国民としては、何ができるんだろうか・・・。
さらに、1951年に、「中共チベット会議」なるもので、"十七箇条協定書"なるものが、ダライ・ラマの承認なしで、チベットから派遣された代表によって結ばれてしまう。本を読んで私が理解した限りでは、これが中共チベット侵略の既成事実化のすべてであったと思える。本書のよれば、チベット代表は、中共に罵声を浴びせられ、テーブルを叩かれ、ほぼ脅迫されたような状態であったようだが、なぜ署名を拒否しなかったのか。部外者の私が、「そんな脅しに負けた奴が悪い」などと言ってのけるのは簡単な話だろう。私も、同じような場面に立ち向かった場合、どう振る舞えるのだろうか。1人なら、同じように脅迫に屈してしまうかも知れない。「国を思えば・・・」などという思いよりも、「その場をどうやって逃れるか」ってほうが自然だろう。おそらく、交渉では、中共側は大多数、チベット側は少人数だったのだろうと推測する。しかも、交渉場所は相手側であり、まったく有利な点はない。このように、相手側に乗り込んで交渉するときは、脅迫などで追い詰められないよう、こちらも大人数で乗り込んでいくなど、対策を考えないといけない*1

また、1951年、ダライ・ラマのラサ帰還に対して、以下の記述がある。

しかし、ダライ・ラマのラサ帰還を求める僧側の声が優勢になっていた。人々は、こちらから中共を刺激しさえしなければ、よもや仏教が破壊させられたりはしないだろうと考えていたのである。

「刺激していけない」って、いまの某国の核実験に対する一部の方々の意見と似ている。今後の対応については、もっとよく考えておかないといけない。

周辺国や国際社会の対応

周囲の国々や国際社会も、この事態をどうして放置したままにしたのか。インド(ネール首相)は、当初は親中共だったようだが、1962年の中共のインド侵略によって、態度を変えたようである。また、当初はアメリカも、当初はCIAを通じてチベットを「反共の砦」(53ページ)にするため、チベット側に協力的だったが、米中国交正常化に当たって、政策を転換してしまったようである。要するに、みんな自分の都合があるということなのだろう。さらに、"チベットわが祖国-ダライ・ラマ自叙伝"からの孫引きになるが、以下のダライ・ラマの言葉は印象的である。

正義の支えとして国連を信頼してきたのに、我々の問題がイギリスによって棚上げされたと聞いたときには驚いた。インド代表の態度にも同様に落胆した。インド代表はこいうった。"平和的解決がなされるものと確信している。そしてチベットの独立は守られよう。これを確かとする最善の方策は国連総会でチベット問題を議論しないことだ"これには、誰も我々を武力で助けてはくれないということを知った前回以上の無力感を感じた。今や、友人たちは我々の正義への訴えを代弁しようとさえしてくれないのだ。中共軍の大群の中に置き去りにされたように感じた。

結局、他人は当てにできない。自分の身は自分で守るようにしておかないといけない、ということなのだろうか。日本の場合、どうだろうか。自衛隊があるが、専守防衛がどうとか、集団的自衛権がどうとか言っているが、いざとなったときどうするのか。今は、米国の核の傘の下にいて安全を保っているが、それは結局のところ、経済的にみて米国にとって日本が必要だからであろう。日本が経済的にそれほどでもなくなって、米国自身がわざわざ日本を守る必要がなくなったと考えたとき、日本はどうするのか、考えたほうがいいと思う*2

自分自身の平和を守るためには、戦わなければならないという、矛盾がある。再び"チベットわが祖国-ダライ・ラマ自叙伝"からの孫引きになるが、以下のダライ・ラマの言葉を見ると、その矛盾と格闘する姿がわかる。

殺人を否定する私の信念にもかかわらず、私たちの自由、文化、宗教のために始めた情け容赦ない戦いをつづけようとする勇気と決意に心からの敬意を表した。彼らの力、勇気に対し、特に私の身を守らんがために払った犠牲に対し、深く感謝した。正直いって暴力は止めよとはいえなかった。戦うために彼らは家庭も、平和な生活も、人生の楽しみ一切を投げ捨てたのだ。彼らには戻る所はない。戦いつづけるのみであり、私は彼らに何もしてやれなかった。

平和を守るために戦う、という一見すると矛盾する考えだが、そうやって守っていくことしかできないのが、現実なのだと思う。

それにしても、中共はなぜそこまでして覇権主義を推し進めるのか。今は、石油に関連して、資源確保の点からチベットの重要性は増している。そういえば、"初のチベット行き鉄道が開通"というニュースがあったのを思い出した。これも、中共の支配体制を確立する一助になるんだろう。本書によれば、寺院を破壊し、言葉を奪い、文化を完全に破壊した。とてもこのまま見過ごせるような話では内容に思う。とりあえず、私にできることとして、blogに書いて、自分の考えをまとめたものを掲載してみた。理解不足のところもあると思うが、誰かが考えたりする参考やきっかけになれば幸いである。

*1:話がずれるが、こういった、大多数の圧力というもので、本来の正しい主張が捻じ曲げられるということは、日本でもよくあるのではないか。昔の全共闘全盛のときなど、学生側と大学側で、こういった大多数対少数による交渉事で、学生側の正当とも思えないような要求を突きつけられたこともあったようである。そんなとき、なぜか東大全共闘での"林文学部長軟禁事件"を思い出す。(だから、神田の古本屋で見かけた、林健太郎著"世界の歩み"を思わず買ってしまったのだが・・・。) 何日間も相手側の罵声を浴びせられても、相手の要求に屈することなく、立ち向かえるだろうか。それにしても、全共闘などに代表される、当時の学生運動に関わった方々は、なぜこんな、大多数で少数を追い詰めるようなことをしたのだろうか。「造反有理」だから、何やってもいいし、手段も選ばない、とでも考えたのだろうか。社会主義というか、共産主義っていうのは、とりあえず権力を奪わなければならない。そのためには、合法であるかどうかは、構っていられないのだろう。そのあたりが、社会主義というか、共産主義のいう「革命」というのを理解できないところである。先に挙げた"世界の歩み"では、19世紀における社会主義の歩みについても、的確にまとめてあるように思うので、改めて読んで、まとめることとする。さらに話がずれるが、私の中では、「愛国無罪」という単語を聞くと、「造反有理」という言葉を反射的に思い浮かべてしまった。要するに、「それ相応の理由があれば、何やってもいい」ということなのだろうか。そんな理屈が成り立つと考えている国が、日本の隣国である。

*2:近年、中国が外貨準備高を著しく増やしていることが気になる。すでに日本を上回っているようである。経済的結びつきも考慮して、米国の日本に対する態度を見ておかないといけないと思う。